講談社出版『休むヒント。』を読んだ。
休み方を教えてくれるハウツー本、ではなく、日々お忙しそうな著名人が休むことについて「群像」に寄稿したエッセイをまとめた一冊。
この本を読むと、休むことに苦労している人がいかに多いかがわかる。そして、自分自身がいかに休むことにネガティブな印象をもっていたのかということにも。
思えば子どもの頃からそうだった。比較的教育熱心で躾に厳しい家庭で、学校や習い事を休むことを許してもらえなかった。もともと身体が丈夫だったこともあるが、小学校から中学まで9年間は皆勤である。
それでもおなかが痛いとか、頭が痛いとか、体調が悪い日はあったと記憶している。しかし、母には何が何でもとりあえず学校に行けと送り出された。勉強に遅れをとることは「悪」とされていた。「調子が悪くなったら帰ってきたらいいから」と。「欠席」は休みカウント1だが、「早退」は休みにカウントされなかったからだ。
重い体を引きずり学校へ向かう。しかし、単純なもので一旦学校に行くと、友達とのおしゃべりに夢中になり、朝体調が悪かったことなどすっかり忘れて一日を無事終えて帰ってくる。結果、私は皆勤賞をもらった。
「休んではいけない」は今も染みついている。休む=人に遅れをとる、人に追い抜かれる、がこびりついているのだ。社会人になり仕事に責任が伴ってくるとそれに拍車がかかった。
この年齢になっても、これを成し遂げるまではサボったり休んだりしていはいけない、と頭にピストルを突き付けられているように感じることがある。
忙しい中でもワークライフバランスはしっかり取れと言われる時代、仕事以外の時間も充実させなければと焦る気持ちもあり、休んでも仕事のことが頭の一部に居座って、全力で休みを楽しめない。
スマホで常にお客さんとつながっている。急ぎの連絡が入ればすぐに対応する体制を要求される。それが怖くて遠出ができなくなった。
職場から一歩外にでると仕事のことを一切忘れる、という人がたまにいるが、心底羨ましい。私はいまだに休んではいけない呪いを自分にかけている。その自覚があるだけでもマシかもしれない。
少しずつ自分を許すことを覚え、「この時間だけは休もう」と区切って考えられるようにはなったから。私にしてはかなりの進歩である。
あとは休むことに罪悪感を持たないようにすること、そこがクリアできるまではもう少し。