休むこと

思うこと

早いもので明日は4月1日。桜もチラホラ咲き始めている。
うちの会社には新卒入社はナッシングだけれど、それでもなんとなく新年度だなあという春っぽい気分にはなっている。

思えば、年末くらいから3月末納期の仕事に追われまくっていた。終わってない案件もあるが、ややゴールが見えたような気がしてホッとしているところ。

なので、今日は一日家で仕事をせず、ただ休んだ。

母とイオンモールに買い物に出かけ、ランチを食べて帰ってきて、午後からパンを焼いて、鶏ハムを作った。夕方、歩いてダイソーまで行き、保冷ランチバックを購入。明日の弁当のおかずの仕込みをして本日の営業は終了。
こうして書いてみると、朝から晩まで動き回っており、のんびり休養してたわけではなく、これで「休んだ」ことになるのか謎ではあるが、自分のやりたかったことをやったので休めていることにする。

休日はしっかり休んだ方がいい、と自分でも思っている。
でも、休んだことで溜まっていく仕事や、取り返さなければいけない遅れ、月曜日の朝の慌ただしさなどを考えると、「休んでる場合じゃねえぞ」と自分をふるい立たせることになる。気を付けないと、いつの間にか自分の疲労の限界を超えてしまう。周囲には「大丈夫、大丈夫」と言いながらも、体の疲れと共に、「休めない恨み」も腹の底に沸々たまっていたりもする。

私はずっと「プライベートと仕事をきっちり分ける」ということができないことが悩みだった。会社を一歩出ると仕事のことを一切忘れるという人がいる。家には仕事を持ち帰らないし、休日には仕事のことを考えることすらしないという人も。私の周りには圧倒的にこっちの人が多い。

私にはどうしてそれができるのかがわからない。私はやろうと思ってもどうしてもできないので、諦めた。諦めたから「休めない恨み」を誰かのせいにするのはやめようと決めている。限界が来る前にプチ休養を小まめに投入する手法に切り替えた。

「休むことを頑張る」というのもおかしいなとは思いつつ、頑張って休もう。
自分の身を守ることは自分の責任なのだ。